ヤマトとも関わりのある音楽

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こういう楽しみ方も・・

琉球古典音楽はインドネシアの音楽と似ている、とジャワガムランを聴いたことのある人なら感じるかもしれません。たしかにガムランのペロッグ音階とスレンドロ音階はそれぞれ沖縄の琉球音階や律音階をほうふつさせます。どちらも宮廷音楽ゆえの端正で典雅な響きがあることも・・。が、琉球古典音楽は本土の人にも親近感を感じさせる音楽でもあるのです。ここで、大正時代、本土から沖縄の師範学校へ赴任してきた稲垣國三郎という人が琉球古典音楽についてこのように表現しているのを紹ご介します。 

   
「琉球音楽はちょっと聞くと読経のようにも聞こえ、また、謡曲か神楽のようなところがある。きわめて悠長で桃山時代の音楽でもきくようにクラシカルなところがあり上品である。」(「琉球小話」稲垣國三郎著 文教出版)


安土桃山時代(16c後半)の芸能・音楽といえば、それより以前から続く雅楽、能楽、琵琶楽、声明、新しく登場した筑紫筝、浄瑠璃や歌舞伎などが思い起こされます。琉球古典音楽の発祥は時代的にみれば本土の桃山時代より古いのです。ただ、楽曲の数々について誰がいつ頃作曲したのかはいくつかの言い伝えがあるのみでほとんどわかっていません。

 

中世においては琉球国王は仏教を保護していたため日琉間に僧侶の往来がさかんな時期がありました。また室町時代には足利幕府との通交がおこなわれていました。そうしたヤマトとの交流の中で伝わってきた要素がないとはいいきれません。推測の域を出ませんが、古典音楽には謡曲や平曲、声明の影響があると指摘する研究者もいました。その例としてよくとりあげられる「十七八節」をきくと、その曲想には日常離れしたものを感じる人もいるでしょう。琉歌や組踊の唱えには和歌の要素や和語が取り入れられています。「口説」や「前之浜(メーヌハマ)」のように、本土の三味線曲にはない”ヤマト風”を感じさせる曲もまた趣があります。

  

いずれにしても江戸時代に入る前、堺に三線が伝わった頃にすでに沖縄では三線楽が演奏されていました。わからないことが多い・・だから想像をかきたてられる音楽ともいえます。


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